TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > ホノウリウリ日系人収容所
オアフ島にあるホノウリウリ日系人収容所跡地が米国史跡に指定されました。
1940年代初頭、日系人の人口は、ハワイ全州の40%をも占めていました。
真珠湾攻撃があり日系人を隔離することとなりましたが、日系人があまりにも多いので、その中の1,200~1,500名の1世、2世のみが強制収容所に送られました。
仏教や神道の聖職者たち、日本語学校教師や経営者、漁業従事者、日本語新聞の編集者、領事代理など、日系社会のリーダーたちでした。
アメリカ政府より、日本への忠誠心が強い人々とみなされたからなのです。ハワイで収容された人々は主にハワイ州内の5ヵ所の収容施設(カウアイ島のカラへオ軍刑務所、マウイ島のハイク・キャンプ、ハワイ島のキラウエア・ミリタリー・キャンプ、オアフ島のサンド・アイランドとホノウリウリ)へと送られました。
日本の戦時捕虜も4,000人程収容されていました。
場所は真珠湾の西側、ハワイプリンスゴルフ場の南側です。
ホノルル空港に着陸する飛行機のコースになります。