TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 昭和9年(1934年)の大凶作
昭和9年は、日本各地に自然災害がおこり、農作物が大きな被害を受けました。
九州・四国:干害、
北陸・山陰:冷雪害、
関西・中国:室戸台風による風水害
東北・北海道:冷害
東北の昭和9年の凶作は、雑穀や木の実はおろか、草の根、木の皮、藁など口に入るものはすべて食糧にして飢えをしのがねばならず、岩手県では全農家の77%緊急の救済を必要としました。
飢饉の影響は、まず子どもたちの上に現れ、欠食児童が急増し、間引きや母子心中が相次ぎ、とくに大きな問題となったのは、娘の身売りでした。
東北六県で、芸・娼妓、女給、女子工員などとして人身売買された娘の数は、昭和9年の一年間で5万人余にのぼりました。
新聞は連日のように救済を訴え、矯風会や救世軍が身売り防止運動を始めたのですが、口べらしと借金の返済に迫られた農村の厳しい現実の前にはほとんど効果はありませんでした。
朝ドラの「あんぱん」を見ていると土佐は食べ物に困らない豊かな土地なのだと感じました。