TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 日本語ローマ字化計画
1946年(昭和21年)3月占領軍は日本語のローマ字化を計画、第1次教育使節団が来日しました。
アメリカ側の解釈は、大東亜戦争が生起したのは日本の教育レベルが低く、民衆は奴隷状態にあり、漢字を禁止してローマ字化すれば識字率がアップし民度が高まると思っていたのです。
実際に能力テストを実施してみると、漢字の読み書きができないのは2.1%しかなく、ローマ字化計画は挫折してしまいました。
終戦時、戦艦ミズーリ号での降伏文書調印直後の9月2日に通告される予定のGHQ布告第一号(案)は日本の公用語を英語とするというものでした。
日本政府の奔走により、布告中止の総司令官命令が発せられ日本語は生き延びたのです。
沖縄は米軍統治下で、米軍は英語の公用語化と小学校からの教科としての導入を計画しましたが、あくまで本土並み、本土復帰をめざす民衆の声に押し返されました。
英語を公用語としていたら、どんな日本になっていたのでしょう。
今、フラを通して他国の伝統文化を勉強してみて、英会話力はもっともっとつけたいですが、ハワイ語(ローマ字読みに近いので、小学校で習っておいてよかったです。)の中に込められた意味を歌詞の前後から想像して、踊るのが楽しくなってきました。
吸い込まれるような空や海の青さ、囁くような風の音、漂う草花の色と香り、そして目にも優しい緑の大木とその日陰の心地よさは、どうしたら伝えられるでしょう。
そんな事を思っていると、帰国したばかりなのにまたハワイに行きたくなるのです。
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