TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > ジャズとハワイアン
日本でジャズが普及したのは、敗戦後に米軍が進駐してきて日本全国各地に駐屯地を作り
そこの将校クラブや下士官クラブのダンスホールのショータイムに演奏したからです。
米軍の基地内で働くためには英語ができるのが必須の条件で、大学の音楽サークルなどがアルバイトで演奏していました。
演奏していた曲は当時のFEN(極東放送)【現AFN(米軍放送)】で流れていた曲目でジャズ、ウエスタン、ロック、ハワイアンなど、全て纏めてジャズといわれました。
ラジオで流れていた曲を覚えて、楽譜や歌詞カードがなくても次の日には兵隊さん達からのリクエストに応えて歌って演奏するという、本当に耳から入って来たままの音楽です。
日本が独立して進駐軍が去ると、ミュージシャンは日本人を相手にジャズクラブ、ジャズ喫茶での活動を始め、今でいうライブハウスのはしりとなりました。
ハワイアンのお店と言えば六本木にあるバードランドが有名ですが、広い範囲の音楽のためのジャズクラブといえます。