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キャップテン・クックがハワイを発見した事が記録された文章があり、フラについても書かれており、それが記録の中で一番古いものと云われています。
それは、キャップテン・クックのディスカバリー号船医のデイビット・サミュエル氏が、1779年1月25日付のジャーナルに載せたもので、ハワイに上陸して夕刻散歩をしていると、偶然現地人のエンターテイメントに遭遇しました。
そのダンサーの女性とリズムを刻むひょうたんをつなげた楽器(イプへケ)を使って歌う男性の様子が記されています。
西洋との接触がない時代のハワイ社会は、強いカプ(タブー)・システムにより民族的な価値観と精神性が保たれてきましたが、アメリカからの植民の増加や捕鯨船の寄港によって、数々の伝染病がもたらされ、結果免疫のないハワイアンの人口は、10分の1になってしまい西洋的政治・経済・習慣のシステムに支配されていくのでした。
それまで島々には、フラが儀式的役割を持って家系として何世紀も受け継がれてたフラ一家がありましたが、1830年キリスト教の洗礼を受けたクイーン・カアフマヌによって公共でのフラ・パフォーマンス禁止条例が出され、フラを継承するクム・フラは、民族的伝統や神聖観を否定され、フラ教育の場を失い、ハワイアンとしての精神性を失いつつありました。