TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 綿花と鰊(にしん)
古来日本の着物に用いられていた繊維は麻でした。
木綿は戦国時代に軍需用品として使われ始め、江戸時代になって徐々に栽培量が増しました。
綿花は大量の肥料が必要でしたので、日本では主に蝦夷地で獲れる鰊を肥料としました。
収穫された鰊は魚油を絞り灯り用とし、鰊粕は肥料とされ、食用はほんの一部でした。
鰊は東北地方ではカドと呼ばれその卵はカドノコ(数の子)です。
アメリカの南北戦争の際の綿花の大農園の様子を描いた「風と共に去りぬ」が有名ですが、綿花は地力の低下が激しいため、農園は西へ西へと肥えた土地を求めて移動しました。
南北戦争中は綿花の栽培・輸出ができず、イギリスの綿織物工場は原料の綿不足に陥りました。
薩英戦争後の薩摩藩は英国から武器を購入し討幕を果たしましたが、綿花を輸出して代金を支払ったのです。
南北戦争は1861~65年、幕末の薩英戦争は1863年で、世界情勢と日本の歴史は連動しています。
日本の輸出品といえば生糸を連想しますが、一部には綿花もあったのです。
🌺ナニ モキハナさんの「プアカーネーション」とても優雅でした。🌷