TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 南北戦争と奴隷制度
1769年ワットの蒸気機関発明でイギリスで産業革命が起こり工業化が本格化すると工場労働者が必要になり奴隷制度への非難が高まりました。
奴隷は不況になっても養わなくてはならないが、工場労働者は不況になれば解雇できるし、労働者が賃金を得れば消費者となって購買力が増すからです。
労働者は奴隷より扱いやすいと思われたのです。
奴隷貿易の廃止は
1807年 イギリス
1817年 フランス
1820年 スペイン
1840年 アメリカにも産業革命の波が到達しましたが、後進工業地帯だった北部は保護貿易主義を唱え、綿花をイギリスに輸出しているためイギリスの自由貿易主義に同調した南部と貿易政策で対立したのです。
また、南部の綿花プランテーションでは奴隷を欲し、北部の工業地帯は工場労働者を必要としていたこともありました。
この南北対立が1861年の南北戦争に繋がり、リンカーンの奴隷解放宣言が1863年に発せられ、1865年に憲法の修正がなされたのです。
現在の共和党が北部の保護貿易、民主党が南部の自由貿易を唱えるルーツもこのあたりにあります。