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大河ドラマを観ていると、まひろちゃんは北の方にしてもらわなくては一緒にならないと無理難題を言っていました。
平安時代は婿取り婚ですから北の方になるのには、娘の家にそれなりの資産がいるという事です。
藤原道長の嫡妻は左大臣の源雅信の娘・倫子ですが、もう一人の妻は「安和の変」で失脚した左大臣の源高明の娘・明子で妾妻とみなされていました。
元左大臣の娘でも後ろ盾を失うと妾妻扱いとなります。
ところで、日本では古代から結婚という制度はありましたが、結婚式が行われることはありません。
キリスト教の国では、唯一神との契約の場として結婚式が執り行われるのですが、明治の日本は結婚式がないことが後進国としての証と外国から批判されたのです。
文明開化を推進し西欧諸国に追いつくため、結婚式という儀式も模倣する事になり、明治30年に後の大正天皇の結婚式が神前式として行われたのが最初です。
庶民もこれを真似て神社で式を挙げるようになり、式には親族や知人が参加する形が広まっていきました。