TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 朝ドラの笠置シヅ子と「マリヒニ・メレ」
朝ドラのブギウギは戦争に突入し、ジャズもブギもハワイアンも歌えなくなってきました。
そのような世相の中でも、シズ子は1940(昭和15)年の浅草国際劇場の「南海の月」公演で、SGDハワイアン・バンドをバックに「マリヒニ・メレ」を歌っています。
♪ 常夏の緑の島よ~
・・・・フムフムヌクヌク~
マリヒニ : 外人、来客、新参者、珍しい
メレ : 詩、歌
1900年頃の古い曲ですが、マリヒニ・メレは福島のハワイアンズのフラガールがよく踊っている曲です。
日本のハワイアンといえば1934(昭和9)年の「篠懸の径」の灰田勝彦さんですが、このころのハワイのフラソングは和製ハワイアンで篠懸の径とは池袋の立教大学の構内を歌ったものだそうです。
1937(昭和12)年にはバッキー白片さんが日本に帰化して「アロハハワイアンズ」を結成しています。
シズ子はブギだけではなく、ハワイアンでも先駆者だったのですが、戦後になってもブギもハワイアンもジャズの一分野とみられていました。