TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 下総台地と落花生
徳川家康が江戸に入府したころの関東平野は、牧場などがある原野が拡がる土地でした。
関東ローム層でも栽培できるのは、深大寺の名産となったソバなどリン吸収能力の高い作物です。
江戸幕府は大規模な土壌改良事業を続けて、関東平野の農業を支えてきたのです。
明治になって千葉県の下総台地に旧幕臣が帰農し、根粒菌や菌根菌でリンの吸収を助ける大豆などマメ科の農作物を栽培しました。
八街で落花生栽培が盛んな理由です。
また、神奈川県の台地は戦後の野菜不足に対応して、リン酸化学肥料を利用して首都圏を支える野菜の一大供給地となったのです。