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朝ドラで万太郎の妻寿恵子が渋谷で待合を開く様子を描いていました。
当時の渋谷は東京郊外の「春の小川」に歌われる渋谷川が流れる田園地帯でした。
日清戦争後、日本領になった台湾に植物調査に行った万太郎、日本は日露戦争に備えて軍備の充実を図っていたのです。
皇居を守るために丸の内に駐屯し、日比谷練兵場で訓練していた陸軍は丸の内の土地を三菱売却し、その代金で東京西部に移転しました。
青山に練兵場を開き、三宿に陸軍輜重兵学校が作られ、跡地は今では駒場東邦や筑波大付属の教育機関となっています。
渋谷は兵隊が増えたため人出も増え、待合の需要も増しました。
待合は部屋貸しで食事の提供は仕出しの業態で、そのため今でも渋谷丸山町はラブホが軒を連ねています。
万太郎は東大の先生が待合の亭主かと非難を浴びましたが、万太郎には生活力はないので、妻の寿恵子のバイタリティに依存していたようです。