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おにぎりと海苔のお話の続きです。
徳川家康が江戸に幕府を開いた際に、魚好きの家康が、品川の漁民に日々将軍家に御膳魚を献上するように命じました。
漁民は、悪天候や不漁に備え、いつも鮮魚が差し出せるように沖合にいけすを設けました。
枝竹で造った柵囲いだったのですが、この柵に海苔が好んで繁茂したので、漁民は次々に内海にヒビ(柵)を立てて品川・大森を中心とする東京湾で本格的な海苔の養殖がはじまりました。
海苔ヒビでの養殖の始まりは1684年のことです。
幕府は海苔を貴重な財源とし、市場で売るようになり、大森でとれた海苔が加工され、おなじみ江戸名物 「浅草海苔」となったのです。
浅草和紙の製紙技術を用いて浅草で板海苔にされたからです。
ハワイのフィッシュポンドに似たものは、日本でも徳川家康用にあったのです。