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Pua Mae ‘Ole Hula Studio | 日記 | 古代の大坂みなと


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古代の大坂みなと (2023.04.28)

仁徳天皇といえば、民の竈から炊飯の煙が立ち上っていないのを見て、この地域には水が少なく、災害や飢饉に見舞われているため、人々が食べるものを十分に得られていないと推測し、租税を免除して、民の負担を軽減し生活向上に努めた天皇として知られています。

その地は大阪で、入り江(河内)の干拓と淡水化のため堀江(大川)を開削したことは、洪水対策と水運発達にも役立ちました。

645(大化元)年に始まる「大化の改新」により、大阪は歴史の表舞台となり、難波津は国家的な港として外交の基地、献納物の中継点・集散地、国家的水上交通のターミナル、警察、軍事の拠点として発展しました。

初期の遣唐使船もここから出発したのです。

仁徳天皇陵といわれる大仙古墳は上町台地の付け根にあたり、豊臣秀吉の大阪城は上町台地の先端になります。

ワイキキのタロイモや水田地帯とアラワイ運河の関係が連想されます。












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