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北条義時をはじめ坂東武者から「佐殿」と呼ばれる源頼朝。
これは平治元年(1159)の平治の乱に際し、頼朝が右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ)という官位に就いたことに由来します。
官位は「官職」と「位階」の組み合わせです。右兵衛権佐を分解すると、「右兵衛」「権」「佐」の3つに分けられます。
まず「右兵衛」は、役所の名前です。都の行政組織に「兵衛府」という宮門の警護や行幸・行啓の供奉などを担当する役所が左右2府あり、頼朝はそのひとつである右兵衛府に配属されました。
ちなみに、「右」よりも「左」のほうが上位になります。
次に「佐」は、階級です。
兵衛府の場合は4段階あり、佐は次官にあたります。そして最後に「権」は、仮、ないし副という意味です。
右兵衛権佐とは、「兵衛府に配属された次官心得」と例えると、わかりやすいでしょうか。
軍隊の階級では現代でも、将・佐・尉・曹などが使われています。