TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 小田原城
小田原城は15世紀の中頃西相模一帯を支配していた大森氏が最初に築城しました。
大河ドラマの鎌倉時代には小田原城はまだなかったのです。
15世紀末、北条早雲が駿河から小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。
日本の城はヨーロッパや中国の城と違って城壁で街を囲んでいませんが、小田原城は例外で城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構を備えています。
これは、豊臣秀吉の来攻に備えて規模を拡大したものと言われ、対する豊臣秀吉も石垣山一夜城の築城で対抗します。
戦と言いながら弓矢ではなく、双方とも大土木合戦といえるものです。
北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となりました。
現在では天守閣も復元されて公園となっています。