TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 北条政子
大河ドラマで「北条政子」が活躍していますが、当時は実名を名乗らないのが社会通念でした。
実名を知られるとその名に呪いをかけられる恐れがあるからです。
「政子」とは将軍の妻に従三位の位を授与するのに際して、文書に記載するため、父時政の一字を取って授けた名前です。
時政の子供だから政子、そして天皇から頂いた姓は平なので「平政子」と記録されました。
娘時代の呼称はおそらく「大姫」(在地領主の長女の意)、公文書には「平氏女」(たいらのうじのにょ)と署名していたと推測されています。
現代日本でも社会生活では社長や部長、先生などの役職名で、また家庭内ではお母さんやお姉ちゃんなどと呼ぶことが多いのはこのような文化があったためです。
そういえば645年の大化の改新・乙巳の変(いっしのへん)では後の天智天皇が中大兄皇子と呼ばれています。
天皇ですら「中大兄」という、2番目の兄貴と言う一般名でしか伝わっていないのです。