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Pua Mae ‘Ole Hula Studio | 日記 | ポリネシア・トライアングル


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ポリネシア・トライアングル (2021.12.25)

ハワイ、イースター島、ニュージーランドを結んだ三角形で、ポリネシア文化圏です。

三角形の一辺は8000Kmで、東京からだとサンフランシスコまでとなり、ちなみに東京・ホノルルだと6000Kmになります。

ポリネシア人はサモアにBC(紀元前)800年ごろ進出し、AD(紀元後)700年にはクック諸島、ハワイとイースター島にはAD900年ごろ、ニュージーランドはさらに遅れてAD1200ごろです。

AD900年といえば日本では、菅原道真が大宰府に配流されたころです。

AD1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見時の航海距離は片道5000Kmで大航海時代のはじまりです。

その600年前にポリネシア人は、六分儀(天体と地平線との間の角度を測定する物)や羅針盤もなく大航海をしていたのです。

赤道付近は東風である貿易風が吹き、西に流れる赤道海流があり、漂流すると西に運ばれるため、キールのある舟に三角帆を張って風に逆らって意図的に東に航海したこととなります。

大海原で島を見つける方法は、島の上には積雲が発生しやすく、火山島と珊瑚礁の島では反射する光の色具合で判別できます。

また、海鳥の飛んでくる方向、木の枝や葉の流れで島までの距離を推定しました。

海洋上で自分の位置を決めるのは太陽、月、星の関係を唄にして暗記していたそうです。

これがメレで、踊りをつけて暗唱したのがフラです。

ポリネシア人が移動したのは、海面上昇があった時期で、サンゴ礁の島のように低地の島は沈没して、やむを得ず新天地を求めたためです。






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