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都電は明治44年に東京市が東京鉄道(株)から路面電車事業を買収して、東京市電気局として開局した時に遡ります。
最盛期の昭和18年度には、一日平均193万人の乗客がおり、41系統の都電が都内を縦横に走っていました。
自動車の交通量が増大していく流れの中で、軌道敷内への自動車乗り入れによる輸送効率の低下が顕著となり、昭和42年から47年にかけて181㎞もの路線が廃止されバスに転換しました。
現在は沿線住民等の強い存続要望があった事と代替えバスの運行できる道路がない事などにより、三ノ輪橋~早稲田間を走る荒川線のみが運行されています。
営業キロ12.2㎞の短いものですが、一日平均約3万9千人の利用があり、地域の足となって活躍しています。
東京さくらトラム(都営荒川線)飛鳥山停留所そばの、紙の博物館で開催されている『渋沢栄一と近代製紙業』の企画展に出かけてみました。
徳川吉宗が沢山の桜を植え整備した飛鳥山公園は、江戸時代から桜の名所として上野公園と共に有名です。