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1853(嘉永6)年にアメリカのペリー艦隊が来航した後に、外国船を監視・迎撃するため全国各地の沿岸部に約800〜1000カ所の大砲を備えた砲台すなわち台場が設置されました。
幕府が設置したものがお台場で、各藩が作ったものが台場です。
薩英戦争時の鹿児島の台場や、下関戦争時の長州藩の彦島の砲台が有名ですが、全国各地に台場があるのです。
幕府直轄の場合は御を付けるので、たとえば徒(かち)の武士が住む町は御徒町です。
ところで御徒町(おかちまち)と「まち」と読みますが、武士が住んでいるためです。
町人(ちょうにん)が住むところは「ちょう」で神田神保町(かんだじんぼうちょう)などとなります。
お台場海浜公園の会場に設置されていたオリンピック(五輪)マークのオブジェは、8月半ばパラリンピックのシンボルマーク「スリー・アギトス」のオブジェに替わり、すべての役目を終えてそれぞれが撤去された後には、いつもの景色が広がっていました。