TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > リリウオカラニ女王
1838年ハクメレの(チャントや、唄などを創る事ができる)家系に生まれたリリウオカラニは、後に国王となるカラカウアを兄に持つ、貴族階級で裕福な環境に育ちました。
音楽が好きで、西洋文明の関りとともに楽譜の読み書き、ピアノ・オルガン・ギターを弾き、作詞作曲をする音楽家に育ちました。
当時のホノルルでは、ワルツなどが舞踏会用の音楽として楽しまれ、教会で歌う讃美歌とともにハワイの伝統音楽と融合して、新しいオリジナルのハワイアンソングが生み出されていくのでした。
リリウオカラニは、1866年ハワイ国歌となった、「へメレ・ラ―フイ・ハワイ」を発表「アロハ・オエ」など、彼女の作品全体の約半数の楽曲が、この約10年の間に創作されました。
ちなみにハワイ国歌は、10年後カラカウア王作の「ハワイ・ポノイ」に変更になりました
兄の後を継いで、ハワイ王国最後のクイーンとなったリリウオカラニは、150曲以上の歌を書いた、ハワイアンの音楽家でもあったのです