TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 捕鯨
カメハメハ3世は、1845年ハワイ大国の首都をホノルルと定め、憲法を制定・ハワイアンの人々の選挙権を一部認め、1848年には土地の分配を試行して、島全体の3分の1を王領、他を一般人に分配することを承認しました。
私有地を得た西欧人は、サトウキビ農園を拡大していきました。
1854年にカメハメハ3世は亡くなり養子のアレキサンダー・リホリホが4世を継ぎました。
王は英国との関係を重視して、参謀のジョン・ヤングの孫で、英国の血が流れているエマ・ルークと結婚します。→エマ女王
そのころ日本はペリー提督が横浜に上陸して、日米和親条約が結ばれました。
ハワイの経済は捕鯨船の補給と販売の中継基地として繁栄していましたが、1859年にペンシルヴァニアで石油が発見されたことと、30数隻の捕鯨船がベーリング海峡で氷に閉ざされる事件が重なり、捕鯨が急速に衰退していき、替わってサトウキビ産業が王国を支えていきました。
鯨油は、灯火と機械油として使用されていたので、石油が発見されるまでは捕鯨が重要な産業だったのです。鯨肉を食する習慣はなかったようです。
🌼渋谷のBunkaMuraオーチャードホールで行われた、ディズニーハワイアンコンサートに行ってきました。
新しい形のコンサートで、勉強になりました。