TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > カメハメハ大王
カメハメハは、ハワイ島北部のコハラ出身で、クック船長以後、来島したバンクーバー船長から、領地の統治の仕方、帆船の扱い、大砲の使い方などを習い、ハワイ島北西部のカワイハエに「プウコホラ」というヘイアウ(祭祀場)を造り、戦いの準備をしていました。
それまでマウイ島とオアフ島を支配していたカへキリ王が亡くなると、1795年2月カメハメハは軍を率い、マウイ・モロカイ・ラナイを手中に収め、オアフ島のワイキキに上陸して、戦いに勝利し、島々の統一を成し遂げました。
1810年カウアイ島の王カウムアリイから、カメカメハの手中に入っていなかったカウアイとニイハウは移譲され、8島すべての統一がなされました。
1819年5月カメハメハ大王はハワイ島のカイルア・コナで亡くなり、長男のリホリホがカメハメハ2世として王位に就きました。
西欧の貿易船が寄港するようになると、ハワイアンの社会規範であった「カプ」制度が崩れ始め、宣教師の来島もあり、ハワイの西欧化に拍車がかかって行きました。
貿易は、中国で高値で売れる良い香りの白檀が、買い求められていましたが木が枯渇してしまい、捕鯨へと移っていきました。
ハメハメハ2世は、英国訪問中に麻疹にかかり、在位5年でこの世を去りました。