TOP > Pua Mae ‘Ole Hula Studio 日記 > 芋焼酎の歴史
鹿児島と言えば芋焼酎、昔から飲まれていると思っていましたが、鹿児島でも昔は米焼酎でした。
幕末の開明的藩主・島津斉彬公が日本の富国強兵を目指し戦国時代からの火縄銃を雨でも使える近代的な雷管銃にする計画を立てました。
衝撃で爆発する雷汞(らいこう、水銀)を点火に用いるのですが、この雷汞を作るためにはエチルアルコールが必要なのです。
当時合成アルコールの技術はなく、焼酎を何度も蒸留して純度を上げていくしかありませんでした。
米焼酎は主食のコメから作るため、生産量を上げられません。
そこで目をつけたのが大量にあるサツマイモ、ただし食物繊維・栄養素が豊富なサツマイモは、焼酎造りに不向きな作物で、当時の技術では、臭いのきつい飲料に適さないものしか製造できませんでしたか。
斉彬はそれを工業用としてのみならず飲料用としても利用出来るように製造法に改良を加えさせたのです。
芋からお酒を造る技術は日本独特のものだったのです。
ハワイではタロイモからアルコールを作らないでカバを飲んでいた理由がやっとわかりました。