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船を進ませるには帆のほかに櫂があり、日本には艪もありました。
江戸時代、庶民が乗る船は艪が一本のものに限られていて、特別の用途に供する場合を除いてそれ以上の本数を使用することを厳格に禁じていたのです。
特別な8本の艪を持つ船は幕府の水軍である御船手組が管理する公用船ですが、民間でも小田原や房総半島で獲れた魚を日本橋の魚河岸に運ぶ船がありました。
魚が傷まないよう迅速に運ぶ必要があったためです。
ほぼ100キロメートルの距離を最短8時間で運んだとされ、平均時速は12.5Km/h、船速8ノットとなります。
これがどれほど速いかといえば、当時江戸・小田原間は一泊二日の行程であり、房総半島南部にある館山・日本橋間なら三泊四日の行程ですので、とんでもなく俊足であったのです。